私の競馬はちょっと新しい
第19回 中央競馬調教師 国枝栄さん
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1955年生まれ、岐阜県出身。東京農工大学農学部獣医学科卒業後、山崎彰義厩舎の調教助手となり、89年に調教師免許を取得。99年にブラックホークのスプリンターズSでG1初制覇。今春はアパパネで桜花賞、オークスの「牝馬二冠」を達成した。
意外に「閉鎖的」ではなかった競馬の世界
市丸:トレセンに入られたときの印象はいかがでしたか? 開場したばかりで……。
国枝:外から見ていたときは「閉鎖的で」などという印象もありましたけれど、実際に中に入ってみると近代的で、ある面では変革期だったと思います。聞いていた話からは変わっている部分も多かったですね。
市丸:昔は師弟関係その他いろいろと厳しかったそうですが。
国枝:乗り役も「ライン」とか「○○一門」とか、いろいろ言われていましたね。馬にしても、当時は1歳の秋に牧場から厩舎に入ってきて、デビューまで半年以上面倒を見ているような時代でした。厩舎に20頭いれば、競馬に使えるのは半分から3分の2くらいで、あとは休養馬や若馬で。馬の頭数も今よりずいぶん少なかったと思います。
市丸:今とは違って、育成をトレセンでやっているようなものでしたよね。それで、調教師免許を取得されたのが……。
国枝:89年に免許を取って、90年に開業しました。
市丸:助手として入られたころから調教師を目指しておられたのですか?
国枝:最初はよくわからない、よく知らずにこの世界に入ったので……。勉強してなかったので、とにかく就職できるぞと(笑)。
市丸:そうなんですか(笑)。
国枝:そうなんです!(笑) 仲間は競馬会とかその他いろいろ目指してましたが、獣医の国家試験を通らないといけないので……。とりあえずこの世界に入れて良かった、と思っていました。そうしてやっていくうちに、調教師というのは面白そうだな、と。
市丸:調教師のどんなところに魅力を感じられたのでしょう?
国枝:お金……、儲かる(笑)。
市丸:競馬にかぎらず、どんな世界でも目指すところですよね(笑)。
国枝:それはともかくとして、あのころは調教師が生産にまで関わって、自分のところにいた馬が牧場に戻ったときに「種」を決めたりとか、いろいろとできることがあって、そこに魅力を感じましたね。競馬というのはトレセンが主で、調教師が今より多くの権限を持てたので、そういう意味で「おもしろいことができそうだ」と感じていました。
市丸:実際に調教師になられてからはどうですか?
国枝:時代とともに、いろいろと変わっていった部分が多いですね。
市丸:具体的には?
国枝:非常に多いので挙げればキリがないですけれど、厩舎経営ひとつとってみても、以前より競争性が出てきたり。考えようによっては「普通の世界」になって、それで困る人もいますけれど、やりがいがあるとも言えます。
市丸:牧場の育成力という部分でも大きく変わりましたね。
国枝:それによって、競馬の開催日数は変わらないのに競馬に使える馬の数が非常に増えて、競争が激しくなりました。本当は、以前のように厩舎で手間暇かけてやりたいのですが、それではやっていけないので、外とうまく連携していかないといけません。今や「3倍枠」だとかいう話になって、我々はマネジメントに重きを置くようになってきました(※「3倍枠」 2000年より、厩舎の管理頭数の上限が馬房数の3倍に拡大された)。
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