私の競馬はちょっと新しい
第5回 ホースコラボレーター 細江純子さん
- 「騎手を引退してから知りたいことがどんどん出てきました」
- 1975年生まれ、愛知県出身。高校卒業後に第12期生として競馬学校に入学。96年に中央競馬初の女性騎手としてデビュー。2000年には、女性騎手初の海外勝利を挙げる。現在はホースコラボレーターとして、テレビ、新聞など多方面で活躍中。
トレセンの取材で「馬を作っていく」感覚を知る
市丸:テレビの仕事がはじまってから、なにかエピソードのようなものはありますか?
細江:初めてのG1のゲート前リポートのときに、豊さんが馬を目の前まで持ってきて「今こういう状態だよ、こういう状態だよ」ってささやいてくれたんです(笑)。それを「今こんな雰囲気です」って伝えて。
市丸:それ、ゲート前ですか!?
細江:そうなんですよ。そうやって、皆さんに助けていただきながらやってきました。
市丸: フジテレビの「みんなのケイバ」ではパドック解説もされていますね。
細江:そうなんです(笑)。やっぱりこれは反省というか……。特に古馬になってくると違いが感じられるときはあるのですけれど、2歳3歳ですと、「わたしはこう思ったのだけど」とか、後から結果と照らし合わせて「ああ、そうだったのか」と、すごく感じますね。
市丸:トレセンでの取材などは? わたしたちのような馬に乗ったことのない人間からは、とても出ないような言葉が出てきたりとか、いつもすごいなあ、と思うのですけれど。
細江:わたしは乗るだけで育てたことはないので……。馬を作っておられる厩務員さん、持ち乗り助手さん、そういった方々と一緒に馬を見せてもらって、いろいろと気づくことはありましたね。
市丸:たとえばどんなあたりですか?
細江:クラシックを目指すなら「もうちょっと強く調教をすればいいのに」とか思ってしまうのですけれど、心身のバランスを考えてやっておられるのを見て、我慢する勇気というものを知ったり。それでも、ちゃんとクラシックには乗るんですよね。それですごくはまってしまったというか、初めての感覚でした。
市丸:具体的に名前を挙げても差し支えない馬がいれば……。
細江:あるとき、(月刊誌の)サラブレさんから「POGでオススメありますか?」と聞かれたんです。わたし「POG」という言葉すら知らなかったのですが(笑)、それで「ペーパーオーナーゲーム」だと知って、「1頭なにか見つけてきてください」と。そのときに最初、アドマイヤコジーンなどを育てた橋田厩舎の森山助手に「お願いします」って行ったんです。そうしたら「俺の馬よりこっちの馬の方がいいよ。たぶん長距離に行くと思うし」と、紹介されたのがアドマイヤフジでした。
市丸:アドマイヤフジですか! ちゃんと(POGに重要な)クラシックには乗りましたよね。
細江:三冠、出たんですよ。この馬を追っていたら競馬が良くわかってきたので、フジ様々ですね(笑)。
市丸:その後、ちょっとスランプもありましたけれど……。
細江:4歳になってから、クビの付け根を骨折してしまったんです。誰も音を聞いていないのに、馬房内が血だらけで……。復帰した有馬記念のあと、ダイヤモンドSも13着とか、やっぱり苦しかったんでしょうね。馬って心身のバランスだといいますけれど、苦しかったでしょうね。でも馬も陣営も苦しさを乗り越え、ここまで立ち直るのですから、あの中山金杯(08年)の勝利はすごいなあ、と。
市丸:馬の「心」の部分って、なかなか外から見ているだけでは、わからないですよね。
細江:アドマイヤフジは女の子(牝馬)が大好きで(笑)、骨折も、もしかしたら前を女の子が通ったときにません棒をくぐり抜けようとしたんじゃないかって。あと、前の鮫島厩舎にハギノプリンセスというサンデー最後の子がいるんですが、運動中遠くから、その馬の馬房の前に立って木の間からじっと見つめていたり。そういうのを見ると、かわいいですよね。乗っておられる方も、フジが納得するまで見させて、納得したら「じゃあ行こうか」と。
市丸:そういうのは面白いですね。我々はなかなか知り得ない話ですし。
細江:レース後の表情とかもそれぞれ違いますし、そういう姿を見せてもらって「ジョッキー時代は馬の表情とかは見てなかったな」と思いました。
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