DataLab.(データラボ)第20回 服助、実況服助PRO
- 「服色のデータを集めるのには苦労しました」木下彰
- 昭和30年生まれ、長野県出身。オフコンの時代からシステム開発を担当。その後、自作の予想ソフト開発(非公開)などを経て、勝負服をイラスト表示する「服助」を公開。さらに溝渕氏の協力のもと、実況現場での利用にも耐える「実況服助PRO」を開発する。
- 「『服助』の存在を知りすぐに木下さんへ電話をしました」溝渕信
- 昭和38年生まれ、北海道出身。STVラジオのアシスタントディレクター、ディレクターを経て、現在は競馬中継の実況も担当する。実況デビューした頃に「服助」の存在を知り、木下氏とともに「実況服助PRO」を開発。
インタビュー記事 インタビュアー/市丸博司(2008/9)
勝負服を表示できるソフトがなかったため、自ら「服助」を開発
市丸: 今回は「服助」を開発された木下さんと、「実況服助PRO」の製作に携わられた溝渕さんのお二人で「特別版」ということで、いつもとは少し違う感じになりますが、よろしくお願いします。まずは木下さんからお話しをうかがいたいのですが、お生まれは?
木下: 昭和30年で、長野県です。
市丸: 現在も長野県ということですが、生まれてからずっとなのですか?
木下: いえ、一度東京で14〜5年、会社勤めをしていまして、それから長野に戻りました。
市丸: 仕事としてはやはりソフト開発を?
木下: そうですね。東京にいたときが電算部門で、そのときからソフト開発をしています。COBOL(プログラミング言語のひとつ)専門で。
市丸: 学生の頃からそういった方面のことを……。
木下: いえ、会社は商社だったのですが、最初は経理をしていました。それから電算部門に行きまして、いわゆる「オフコン」ですよね。紙テープの時代、かなり昔ですけれど。
市丸: 競馬のほうはどのくらいから?
木下: 昭和50年のカブラヤオー・テスコガビーの時代からですね。弥生賞がビギナーズラックで当たった記憶があります。それからテンポイント、トウショウボーイの頃が全盛期で、中山競馬場の有馬記念とか。ただ、会社が忙しくて空白もありました。オグリキャップの時代などは全然やってませんでしたし、長野に戻ってからも(WINSがないので)しばらく馬券が買えませんでしたから。
市丸: 初めて作られた競馬ソフトは「服助」だったのですか?
木下: いえ、この前に個人的に予想のソフトを作ったことはありました。JRA-VANのデータがホームページからダウンロードできるようになった頃だったと思います。
市丸: それは公開されなかったわけですね?
木下: はい。その後になって「服助」を。その頃、勝負服を表示できるソフトがなかったんですよね。スポーツ新聞とか、レーシングプログラムでG1のときに見かけるくらいで。
今までなかったものを作るとなると大変かと思いますが、どのあたりに苦労されましたか?