DataLab.(データラボ)第11回 競馬新聞サラぶー
- 「とにかく競馬新聞が見たい、という一心でこのソフトを制作しました」 梶原紀美夫
- 大分県出身、56歳。コンピュータとのつきあいは、自作の「ワンボードマイコン」の時代から。自宅の近くで競馬新聞が売っていなかったため、JRA-VANのデータを利用して馬柱を表示する「競馬新聞サラぶー」を開発し、予想に活用する。
インタビュー記事 インタビュアー/市丸博司(2007/12)
ある程度「いい線」の予想が出るようにするのに苦労しました
市丸:では、ソフト開発はお仕事かなにかでされていたのでしょうか?
梶原:いえいえ全然。ド素人です(笑)。パソコン、というかコンピュータを使い始めたのは、ワンボードのLEDを使ったものでしたけれど。
市丸:そうすると、機械の方は詳しかったのですね。
梶原:今は長崎総合科学大学になっていますけれど、当時の長崎造船大学で、船舶の方の機械はやっていました。
市丸:その後、いわゆる「パソコン」が出てきたと思うのですが……。
梶原:シャープのMZ-80というのを最初に買いました。フロッピーがまだない時代で、カセットテープで読み込んで使うやつです。その頃はMZシリーズやPC-8801などBASICを利用するものと、ほかにMacもあって欲しかったですけれど、これはすごい値段しましたから。
市丸:私はMacのSE/30っていうのを持っていましたが、もう何年もローンを払っていた気がしますね(笑)。
梶原:その後Windowsが出てきてからは、DOS/Vの組み立て機を使ってました。
市丸:PC-9801シリーズがかなり売れていたと思うのですが、これは買わなかったのですか?
梶原:あれは子供に「98じゃないとダビスタが出来ない!」って言われて買いました(笑)。子供は今はMac使いで、Web関係の開発の仕事をしていますけれど。
市丸:この「サラぶー」を開発される前は、なにか他のソフトを作ったりされていたのですか?
梶原:いえ、最初の頃はゲームばかりしていました。当時「I/O」という雑誌があって、これに掲載されたソースを打ち込んで遊んでましたね。
市丸:では、自作ソフトとしては「サラぶー」が最初で。何年くらいになりますか?
梶原:最初は96年ですね。JRA-VANのサービスが始まってしばらくしてから「自然」というソフトを知りまして、これを見て、自分でもできないかと。先ほども言いましたが、競馬新聞をなんとかしたい、というのがずっとありましたから。
市丸:最初はいろいろ大変だったかと思うのですが、開発にあたって、どんなところで苦労されましたか?
梶原:横書きに関しては、新聞の組み立ては比較的簡単にできました。ただ、縦に並べようとしたときにフォントを細工しないといけなくて。あとは、ある程度「いい線」の予想が出るようにするのに苦労しました。
予想のロジックとしては最初の頃はどんな感じだったのでしょう?