DataLab.(データラボ)第3回 複勝・3連複連動理論
- 「ソフトを作ってくれる人がもっと増えると嬉しいですね」高橋正視
- 新潟県出身、競馬歴約40年。コンピュータとのつきあいは、パソコンが登場するはるか前、大型計算機の時代から。ソフト開発のきっかけは「馬券を当てるため」ではなく、テストを採点する理論を検証するために競馬のデータを利用したことからという、競馬ソフト作者としては少々珍しいタイプの61歳。
インタビュー記事 インタビュアー/市丸博司(2007/5)
「大型計算機」の時代からプログラミングを実践!
市丸:まずは競馬やパソコンとの出会いについてからお聞かせ願えますか?
高橋:今61歳になりますが、競馬もコンピュータもかれこれ40年ほどになりますね。ソフト制作の方は本職としてやっていました。
市丸:本職、というとどういったソフトを作られていたのでしょうか。
高橋:最初は通産省に入ったのですが、その後体調を崩しまして、30代になってから都立高校の先生になったのです。ちょうどその頃、学校にコンピュータが入り出したのですけれど、どうもソフトの使い勝手があまり良くない。ならば自分で作ってしまえ、ということで、40代の頃は教育ソフトの作成をしていました。
市丸:私もソフトが自分で作れたらいいなあ、とは思うのですが、思い立ってすぐ作れるわけではないですよね?
高橋:もともとは、数学で「高橋の定理」を見つけたかったんです。そういうのって後々に名前が残るじゃないですか(笑)。それは結局見つけられなかったのですが、その代わり高校生のときに「高橋の数」というのを発見しました。当時は手計算だったので、それを大学に入ってからコンピュータを使って検証したという経験がありまして、その頃からプログラミングの技術自体は持っていました。
市丸:といっても、その頃っていわゆる「パソコン」なんて存在しないですよね。
高橋:テープに穴を開けて使うような、「大型計算機」ですね。学生なんかは手回し式の「タイガーの計算機」でした(笑)。
市丸:ああ、そんなのもありましたね(笑)。ところで競馬の方は……?
高橋:最初の頃で記憶に残っているのはタケブエ(1970年、目黒記念・秋)ですね。良血馬に挑んでゆく野武士のような馬が好きで……。有名なところでは、アサカオー、タケシバオー、マーチスの3強が走っていたちょっと前あたりからでしょうか。