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競馬をドラマとして語れば、ライスシャワーは長らく“敵役”を務めた存在だった。 1991年デビューのライスシャワーが最初に闘った“ヒーロー”は、同期のミホノブルボンだ。無敗のまま皐月賞と日本ダービーを制し、秋には菊花賞トライアル・京都新聞杯も勝利。三冠達成は間違いなしといわれた栗毛の逃げ馬である。 そのミホノブルボンに対し、日本ダービーでも京都新聞杯でも2着に甘んじていたライスシャワーだったが、大一番・菊花賞では鮮やかな逆転劇を演じる。直線、先頭に立って栄光のゴールを目指すミホノブルボンを並ぶ間もなく差し切り、三冠を阻止したのだ。 ライスシャワーにとっては初の重賞制覇。だがミホノブルボンに夢を託した多くのファンにしてみれば、その姿は憎き敵役として目に映ったのだった。 メジロマックイーン3連覇を阻む 次にライスシャワーがあいまみえたのはメジロマックイーン。1991年、1992年と天皇賞(春)を2連覇し、1993年も産經大阪杯を5馬身差で快勝。三連覇が確実視された稀代の名ステイヤーだ。 いっぽう明け4歳となったライスシャワーもスタミナに磨きをかけ、日経賞1着からの臨戦で天皇賞(春)へと挑んだ。 結果は、メジロマックイーンを2馬身半ねじ伏せる完勝。またしてもライスシャワーはヒーローの夢を打ち砕いたのだった。 主役の座を奪い取る その後は骨折休養を挟んでの9連敗。長らく潜伏の時期を過ごしたライスシャワーの久しぶりの勝利、そして最後の勝利ともなったのが1995年の第111回天皇賞(春)だ。ここでもライスシャワーの立場は主役とは言い難かった。メンバー中ただ1頭のGI馬だというのに、人気は4番手。しかもレースでは、3コーナー先頭から粘り抜くという渾身のロングスパートを敢行したライスシャワーと、鋭く追い込んだステージチャンプが並んでゴール、ステージチャンプの鞍上・蛯名正義騎手が派手なガッツポーズを見せたため、観る者すべてがこの勝利だと思い込んだ。 ところが、ハナ差で軍配はライスシャワーに上がる。またしてもライスシャワーは、ライバルから主役の座を奪い取ったのである。 次走・宝塚記念のレース中に骨折、予後不良となったライスシャワー。最期の一戦で、誰も望まなかった“悲劇”の主役となって、ライスシャワーはその競走馬生活に幕をおろしたのであった。
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