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第94回 超現実的なプロフェッショナル 中舘英二騎手

2010/3/8(月)

今年も新人騎手がデビューし、幼くも初々しいプレーを見せてくれている。新人騎手に限らず、2〜3年目の若手騎手も含めて、活躍の場というと同時開催の第三場の競馬場が多い。しかし、そうした彼等の前に山のように聳え立ち、思いどおりに競馬をさせてくれない存在の騎手が待ち構えている。中舘英二騎手である。彼は40歳になる年から5年連続、年間100勝以上の勝星をマークしている。その大半が、いわゆるローカルと呼ばれている競馬場で挙げたもの。彼ほどの技量があれば、東京・中山でも騎乗には事欠かないであろうし、GI競走の騎乗数も当然多くなるはずなのだが、あえて背を向けるようにローカル競馬場に主戦場を求めるのは何故なのか?疑問に思う方は多いことだろう。そこで2月の末、美浦トレーニング・センターで直接、話を聞いてみることにした。

中舘英二騎手は、昭和40年、東京・荒川区で生まれている。「典型的な下町」と彼は語っているが、父は証券会社勤務、そして母は、パートで競馬場の馬券売場の仕事に従事していた。兄が高校へ進学していったのに、彼が騎手の道を目指したのは、体が小さいし向くのではという母の一言によるものだった。更に、近所にトウコウエルザなど、トウコウの冠号で有名な渡辺喜八郎さんが住んでいたことも影響が大きかったようだ。彼は小学生のときに渡辺さんに逢いに行っているが、「まずは中学校を卒業してからのこと。馬事公苑の騎手養成所に入る為には学力も必要だし、体が大きくならなければのことなので、まずはしっかり勉強しておきなさい。」と言われている。中学生の間も、騎手になるという気持ちは変わらず、渡辺オーナーは、家庭的な雰囲気のところということで、加藤修甫調教師に依頼し、いよいよ競馬社会でのスタートを迎えることになる。

当面、馬事公苑での訓練が始まるのだが、水泳ぐらいしか記憶がないというほど、運動に興味を示さなかった彼は、習熟の速度が相当遅かった。同期生がどんどん課題をこなしていく中、ついていけずに取り残され、辛い日々を送っている。

それでも騎手のライセンスを獲得し、昭和59年、騎手としてデビューするのだが、実際のレースに触れ、果たしてこのゴールまで回って来られるのか、勝つことができるのか、とまどいと不安ばかりで、自信は一つもなかった。彼がいまだに忘れられない思い出の一つにシンボリルドルフが勝ったダービー当日の騎乗停止処分がある。もともと自信のない上に重い処分を受け、えらいことをしたとすっかり意気消沈してしまったが、それから間もなくして始まった函館競馬でも、彼は騎乗停止処分を受けてしまう。立ち直れないほどのショックを受けた中舘騎手に、師匠の加藤調教師は、とにかく競馬を数多く見ることを勧めてくれた。そこから平日でもビデオを数多く見たり、彼自身の研究心に火がつくのであるが、気持ちの面でも変化が現れてきている。所詮、馬が走ることで、人間がどうやってもできない部分があるという、一種の開き直りに近い境地に達したとき、何かがわかりかけたというか、心に少し余裕が生まれてきた。と同時に、境勝太郎調教師や松山吉三郎調教師、それに多くの厩務員が励ましてくれ、乗せてくれるようになった。「競馬の世界全体に余裕があって、皆で育てようという環境がありましたね。」とふり返っているが、1年目は7勝という成績で終わっている。

ヒシアマゾン 1994年(平成6年)エリザベス女王杯

2年目に、中舘騎手は乗り鞍も3倍に増え、勝星も39勝をマークしている。「いろんな人が乗せてくれて数多く乗れたことが大きいですね。中には、うまくいって間違って勝ったこともありましたし、特別の勝星も経験できました。減量もあって関西の関係者も乗せてくれて、それでうまく勝てましたし、そうなると気持ちにも余裕が出てきました。」と語っているが、その2年後にスランプに見舞われている。いい馬に乗っても勝てない、うまく乗ったつもりでも相手が強かった、接戦は必ず負けのパターンがつづき、負のスパイラルに巻き込まれてしまった。あれこれ悩んでいる姿を見た加藤調教師から、スムーズに競馬を運ぶ為にハナに行くことを勧められるのだが、そこから彼の先行するパターンが始まることになる。スムーズに先行する為には、まず好スタートをきることが条件になる。そこで、当時スタートの名手といわれた田村正光騎手を徹底的にマークした。ビデオ、パトロールの映像を見ることはもちろん、隣のゲートに田村騎手が入った場合は、どのように馬に接しているか注目し、直接話を聞きにいって見よう見まねで、その技術を習得していっている。私などは、つい増沢末夫騎手のプレーとイメージをダブらせることがあるが、「増沢さんはためて逃げるタイプ。自分は、淡々と行って離して逃げるタイプ」と、彼はその違いを語っている。平成5年にはツインターボでの重賞勝ち、そしてヒシアマゾンと巡り合い、平成6年にはヒシアマゾンでGIを含む重賞6勝を記録している。

ヒシアマゾン 口取り 1994年(平成6年)エリザベス女王杯

それでも彼は、「自分はいい乗役というイメージが無いんです。馬が勝ってくれているだけですから、早くやめなくてはいけないんです。」という気持ちを頑なに持っていた。当時は1000勝ジョッキーは、調教師試験の一次試験は免除される恩典があって、彼は早く1000勝のラインに到達する為に、急いで勝ちたいと思っていた。その為にローカルの競馬に活路を求めたのだが、「GIをあきらめて1000勝を目指したのは、あくまでも自分の選択です。GIを勝つ感動は忘れられませんし、夢は持ち続けなければいけないんでしょうが、うれしいだけでは生活できませんからね。仮に重賞レースに乗っても、回ってくるだけではしょうがないと思います。」と当時の心境を語っている。しかし、その恩典が廃止されてしまったのである。競馬の世界も温情や人情だけでは経営が成り立たなくなった為であるが、中舘騎手にとっても誤算であったに違いない。その後、もう少し乗役をつづけなければ、と気持ちを切り替えているのだが、今やいい馬を集める為には、ローカルには必ず中舘がいるというイメージは崩すことができないと語る。

フェアプレー賞の常連だが、と水を向けてみたが、彼はあまりこだわってはいないと答えた。騎乗停止が多くて後悔ばかりしていたのがいい薬になったことと、怪我は自分を駄目にする最大の要因と、無謀なプレーを自ら諌めている。

彼自身、大怪我の経験は少ないのだが、今年に入ってから降り懸った事故による怪我の回復が気になり、医者に尋ねたところ、「年が年だからねー。」と言われたそうだ。調教でも毎週レースに乗っていても、それほど違和感を感じず、年齢ということを意識していなかったのだが、その時初めて、「そうか、もう年なのか。」と思ったという。そういえば疲れの抜け方や回復力が徐々に遅くなって、週2回のマッサージは欠かせなくなっている。

一匹狼という表現は当たっていないが、超現実的で、独特の路線を歩む中舘英二騎手の今後の生き方は、今まで以上に興味をそそられる。

ライタープロフィール

白川 次郎 (しらかわ じろう)

1945年11月生まれ、高知県出身。元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで現在はフリーアナウンサー。ラジオNIKKEIにて『中央競馬実況中継』など、競馬番組を中心に担当している。また、関東地方の独立UHF放送局放送『中央競馬ハイライト』の土曜日キャスターとしても出演している。

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