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第89回 心に残る名馬たち No.15 カーネルシンボリ

2010/2/1(月)

いまから37年も前の、古い話で恐縮だが、私の忘れることのできない馬の1頭に、カーネルシンボリという馬がいる。あの日あのときが、いまでも懐かしく思い出されてくるのは、カーネルシンボリが土つかずの3連勝で、見事1番人気にこたえた北海道3歳S(現札幌2歳S)、そのレース後に私を襲ったある出来事である。

いまと違って当時の札幌競馬場は、芝コースのない左回りダートコースで、レースは行われていた。東西の若ゴマ12頭が争った重賞北海道3歳Sは、朝から激しい雨が降り続く1200mダートの不良馬場での戦いとなり、結果は直線早めに抜け出したバンブトンオールを、好位追走のカーネルシンボリが、ゴール寸前で鼻差捕らえて期待にこたえていた。

まだ駆け出し記者の域を出ない、夏の北海道シリーズ取材3年目の私である。ゴール前の記者席から双眼鏡でレースを追ったあと、カメラ片手にすぐ席を立って、各馬が引き揚げてくる前に検量室へ一目散。まだ余裕の持てない新米記者である。“一刻も早く”そんなあせりもあったのだろう。雨にぬれた階段で足を滑らせ、ファンでごった返すフロアへ転落。あっという間の出来事だった。心配そうに駆け寄るファンに“大丈夫です”とひと言。痛みが走った腕、腰をさすりながら、立ち上がって手放したボールペン、取材ノートを拾って、また駆け足でエレベーターへ。

当時はまだパソコンはおろか、ファックスも記者席になく、電話1本だけの時代である。検量室前で優勝したカーネルシンボリをカメラに収めて、2着バンブトンオールの福永洋一騎手はじめ、惜敗組からコメントを聞いて、そのあと表彰式を終えた西野桂騎手へのヒーローインタビュー取材と続き、またあわてて記者席へ。その日の夕刊に掲載の着順、成績、優勝馬の略歴、勝利騎手の簡単なコメントを、東京本社で待機の速記社員に電話で送り、それから改めて朝刊用のヒーロー原稿の執筆である。

記者席にただ1人残って、北海道3歳Sの全成績、売上げ、入場者数など、すべてを送り届けて、競馬場をあとにしたのは、雨が激しく降り続き、あたりはすでに真っ暗な午後8時前。待たせておいたタクシーに飛び乗って、大通り公園近くにある北海道新聞社へ。撮影した優勝馬カーネルシンボリのフィルムを、焼いてもらって東京本社へ電送する作業である。待つこと30分。会社からようやくOKが出て、滞在先のホテルへ戻ったときは、時計の針はすでに9時を回っていた。

やれやれ、ひと仕事を終えて、忘れていた転倒の際の痛みが、身体全体を襲ってきた。手首、右腕のひじをすりむいた程度のケガですんだが、この日の出来事はいまでも鮮明に思い出されてくるから不思議である。それは忘れもしない1973年(昭和48年)の8月19日、雨の不良馬場で行われた第8回北海道3歳S、カーネルシンボリが無傷の3連勝で表彰台に立った日である。

カーネルシンボリは父がパーソロン、母はローズライラック、牡馬の鹿毛馬で関東は中山の野平省三厩舎の管理馬だった。デビューは7月8日の新馬戦、1000mのダート戦を好位追走から抜け出し、2着馬を9馬身も突き放して、1番人気にこたえてきた。2戦目は1ヵ月後の8月4日のオープン戦、距離は1200mと延びての不良馬場での戦いとなったが、先行争いに競り勝って2馬身差。ここでも西野騎手で2連勝を飾っている。そして3戦目は前述の重賞北海道3歳Sである。

帰厩後はオープン、重賞京成杯3歳S(現京王杯2歳S)と、いずれも中山1200mコースの芝戦に出走、ともに時計のかかる重馬場での戦いとなったが、鼻、頭差の辛勝ながら、1番人気にこたえる5連勝で2つ目の重賞を手にしている。

そして迎えた2歳チャンピオンレースの朝日杯3歳S(現朝日杯FS)。土つかずの6連勝が期待されて、ここでも1番人気に支持されたが、初めての経験となる良馬場での1600m芝戦。中団追走も速い流れの競馬に一息伸びを欠いて、ミホランザンの6着と初めての黒星を喫した。しかし着差はわずかの0秒3。関東のエースとしてのファンの期待は変わらず、6戦5勝で2歳シーズンを終えている。

そして迎えた3歳初戦は、ベテラン野平祐二騎手に乗り替わっての重賞東京4歳S(現共同通信杯)。敗戦後の一息入れての初の東京コースにファンも不安を感じたか、評価は2番目だったが、好位追走から鋭く抜け出て快勝。クラシック制覇へ向けて幸先よいスタートを切っている。3歳2戦目は地元中山コースへ戻っての重賞弥生賞。札幌での北海道3歳Sで鼻差2着に泣いたバンブトンオールが東上しての戦いは、ここでもカーネルシンボリが、ゴール前で首差捕らえての連勝で、名実ともに東のクラシック筆頭候補に躍り出てきた。

しかし好事魔多しといおうか、皐月賞を目前に控えた4月3日の朝の調教後に、左後脚に不安が発生、診断の結果は左後肢第一趾骨骨折と判明。3冠レースへの出走もはかない夢と消えて、戦列を離れていったカーネルシンボリだった。

病いえてカムバックしたのは菊花賞も終わってしまった11月中旬。古馬相手のダービー卿CTだったが骨折後の古馬相手の8ヶ月ぶりの実戦に戸惑い、よいところなしの8着に敗れている。

カーネルシンボリ1975年(昭和50年)目黒記念

この年は皐月賞をキタノカチドキが、ダービーはコーネルランサーが優勝、菊花賞はダービーを3着に敗れたキタノカチドキが2冠を達成。カーネルシンボリが2度負かしてきたバンブトンオールが、菊花賞を2着と好走していただけに、カーネルシンボリが元気に3冠レースに出走していたら、キタノカチドキと人気を分けての名勝負、名場面も見られたことだろう。

カーネルシンボリは翌春、野平祐二騎手の引退レースとなった目黒記念を勝ってスタンドを大いに沸かせていたが、その後は2度にわたる脚部故障による長期間の戦列離脱で成績は振るわず、18戦8勝の戦績でターフを去っているが、私にとっては心に強く残る実力馬の1頭には変わりはなく、滑って転んで、痛みをこらえての、あの日あのときがこれからも思い出されてくることだろう。

ライタープロフィール

原 良馬 (はら りょうま)

1933年10月生まれ、群馬県出身。デイリースポーツ東京本社、中央競馬の予想記者担当を経て、独立。競馬ジャーナリスト活動を本格化した。ラジオNIKKEI『中央競馬実況中継・土曜日午前中』、テレビ東京『ウイニング競馬』のレギュラー解説、また雑誌の競馬コラムや美浦トレーニング・センターで行われるGIレース公開調教会の司会進行なども担当している。

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