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第79回 歴史を作ったクィーンスプマンテ

2009/11/23(月)

スターティングゲートの前扉が開くと、田中博康騎手は両手を前後に激しく動かして、クィーンスプマンテを促した。「さあ行こう」。エリザベス女王杯は、4年目の若手、23歳の騎手と11番人気だった5歳牝馬の「逃走宣言」で始まった。

1ハロン目は12秒5。2ハロン目にこのレースで最速ラップとなる11秒3を記録して、クィーンスプマンテのリードは確定する。その後は絶妙なほど一定のラップを刻んでいった。

12秒2−12秒3−12秒2−12秒2−12秒3。ラップに上下の揺れがない。かつて「走る精密機械」と呼ばれた競走馬がいたけれども、クィーンスプマンテの逃げっぷりも見事だった。1000m通過が1分0秒5、1200m通過は1分12秒7。いずれもエリザベス女王杯が3歳以上の距離2200mで争われるようになった96年以降の14回で7番目に速い通過タイムとなった。

96年は14回のうちで、もっとも遅いペースになった。逃げたシーズグレイスの1000mの通過タイムは1分3秒1、1200mは1分15秒3だった。これほどのスローペースでもシーズグレイスは3着に粘るのが精いっぱいだった。実際にはシーズグレイスは4位入線。2位入線のヒシアマゾンが最後の直線で内側に斜行して7着に降着になったために繰り上がったものだ。クィーンスプマンテがスローペースに恵まれたとはいえない。

クィーンスプマンテを逃がすことに関し、小島茂之調教師(41)に迷いはなかった。「色んな騎手に乗ってもらい、逃げた方がいいですよと言ってくれる人もいれば、逃げなくてもレースはできますよという人もいた。最終的には京都大賞典のレースを見て、今回は逃げようと腹を決めました」。京都大賞典(芝2400m)では逃げるテイエムプリキュアの2番手を進み、9着だった。着順は悪かったが陣営は手応えをつかんだ。勝ったオウケンブルースリとは1秒差。春の天皇賞馬で7着だったマイネルキッツとは0秒2差しかなかったからだ。

そして挑んだエリザベス女王杯。1400mを過ぎてから田中騎手は再びペースを上げた。11秒8−11秒7。京都競馬場名物の3コーナーの下り坂を利用しながら最後の直線に向かった。

クィーンスプマンテが幸運だったのはテイエムプリキュアという存在に恵まれたことだった。逃げるとしぶといテイエムプリキュアはクィーンスプマンテに先手を奪われたことで2番手に控えた。熊沢重文騎手は無理に競りかけることはしなかった。ところが後続の騎手には、そうは映らなかった。「2頭で競り合っている。いずれは逃げつぶれる」。ペース判断を誤らせることになった。

クィーンスプマンテ 2009年(平成21年)エリザベス女王杯

最後の直線でもテイエムプリキュアはクィーンスプマンテをアシストする役割を果たした。田中騎手によると左側から迫られる形になったことで、クィーンスプマンテの闘争心に火がついた。「また伸びました」。最後はテイエムプリキュアを突き放すようにゴール前でストライドを伸ばし、クィーンスプマンテが先頭でゴールした。

「なぜか左目から涙が出てきました。僕を乗せてくれたオーナーや小島先生(小島茂之調教師)に感謝です」。レース後しばらくたっても田中騎手の興奮は収まらなかった。人馬ともに初めてのGⅠ制覇。爆発させた喜びはすがすがしさも感じさせた。

田中騎手がクィーンスプマンテとコンビを組んだのはエリザベス女王杯が3度目だった。07年3月の福島競馬場でデビュー2戦目のクィーンスプマンテが初勝利を挙げた時、その背中にいたのが田中騎手だった。

今年8月の札幌競馬場でクィーンスプマンテが2600mの長距離戦、みなみ北海道Sを逃げ切った後、関係者はこの秋の目標をエリザベス女王杯に定めた。京都大賞典からエリザベス女王杯と2戦続けて乗れる騎手として、その手綱を2年半ぶりに田中博康騎手にゆだねた。

美浦トレーニング・センターに所属するクィーンスプマンテだが、9月下旬には栗東トレーニング・センターに移動して秋に備えていた。田中騎手もエリザベス女王杯の直前は栗東トレセンでクィーンスプマンテに付き合い、前日の土曜日には福島競馬場でレースに出場し、その日のうちに京都競馬場へ移動する強行日程で頑張った。

GⅠ出場3度目の田中騎手は入念な準備も忘れてはいなかった。レース当日の朝、自分の足で京都競馬場の芝コースを歩き、事前のチェックを行った。「直線の内側だけは芝が傷んでいましたが、そのほかは素晴らしい状態でした。馬は重馬場が苦手なんですが、これなら走れると思いました」

周到な準備と迷いのない逃げ戦法。後続が考えすぎたことはあったにせよ、強い意志で臨んだ関係者と、その期待に応えた競走馬に栄冠は輝いた。

今回のエリザベス女王杯はファンを驚かせた点で、後世に語り継がれる歴史的なレースになった。

人気薄の逃げ馬が波乱を演出した時の印象は強烈だ。古くは1980年秋の天皇賞。まだ3200mの距離で行われていた当時、11頭立て8番人気の5歳牝馬プリテイキャスト(柴田政人騎手)が逃げ切った。それも2着メジロファントムに7馬身差をつける完勝だった。

92年の有馬記念。メジロパーマー(山田泰誠騎手)も忘れられない。その年の春、宝塚記念を逃げ切っていたが、この時も13頭立て9番人気だった。秋は2戦とも惨敗し、3戦目の有馬記念は16頭立ての15番人気にまで評価を下げていた。この時は2周目3コーナーで一度はダイタクヘリオスにかわされて2番手に落ちたため、正確には「逃げ切り」といえないが、2500mのほとんどを先頭で走ったのはメジロパーマーだった。

最近では04年春の天皇賞が記憶に新しい。18頭立て10番人気のイングランディーレは横山典弘騎手に操られ、3200mの長丁場を逃げ切った。この時も2着ゼンノロブロイに7馬身の差をつける圧勝だった。

いつ後続に捕まるのだろうかと、はらはらどきどきしながら逃げ馬を見ている。それがなかなか捕まらない。馬券を買っていてもいなくても、大逃げという展開はレースに引き込まれる。

レースは展開ひとつで結果が大きく変化する。エリザベス女王杯を見ていて改めて競馬の怖さ、競馬の魅力を感じた。

ライタープロフィール

有吉 正徳 (ありよし まさのり)

1957年1月生まれ、福岡県出身。1984年東京中日スポーツ入社、競馬を担当。92年朝日新聞社入社。東京本社運動部(現スポーツ部)、大阪本社スポーツ部で競馬、サッカー、アメリンカンフットボールなどを取材。02年10月から半年間、英国に留学、現在は東京本社スポーツグループに所属。

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