JRA公式データ配信サービス JRA-VAN

馬券購入に役立つオッズ情報や競馬情報をはじめ、競馬データによる競馬予想の楽しさをご紹介。

  • メール:office@jra-van.jp
  • 受付時間:10:00〜17:00
  • ※競馬開催のない土日祝・火曜を除く
  • ホーム
  • サイトマップ
  • JRA-VAN広場

競馬かわらVAN(リレーコラム)

競馬かわらVANバックナンバー

第60回 保田隆芳先生を偲んで

2009/7/13(月)

上半期をしめくくるグランプリ、宝塚記念は、ドリームジャーニーが鮮やかな末脚を披露して優勝しました。

父ステイゴールドが4回出走してあと一歩届かなかった宝塚記念のタイトル。日本国内のGIに19回挑戦し、果たせなかった古馬GI優勝を息子がかなえたのですから、素敵なドラマですよね。

調教助手時代にステイゴールドを育てられた池江泰寿調教師は、レース後、「暮れには香港で父子GI制覇を狙いたい」と、遠征プランを明かしました。その言葉にちょっと呆然。“日本産馬による、父子、海外、GI、制覇”ですよ〜!ああ、ついに、それが決して夢物語ではない時代がやってきたのだ〜!と熱いものと、感慨がこみ上げてきました。

それから4日後の7月2日朝、保田隆芳元調教師の訃報を知りました。

「日本産馬の父子による海外GI優勝」。

このことをハクチカラとともに、日本初の海外遠征をされ、近代競馬の礎を築かれた保田先生は、どう感じられたことでしょうか。

ハクチカラとの海外遠征について、何度かお話を伺ったことがあります。

羽田空港 飛行機に乗るハクチカラ

昭和33年、5月26日、ノースウェスト航空のチャーター便(機体に“ハクチカラ”と書かれたプレートがつけられていました)で、アンカレッジ、シアトル経由でロサンゼルス入り。1日半かかりましたが、車より静かで、割と楽な輸送だったそうです。

通訳の方と2人きりの遠征だったため、ハクチカラのことは、保田先生が、調教師、騎手、厩務員の3役を1人でこなさなければならず、朝から晩まで大忙しだったとか。日本人はよく働くなあと、現地の競馬関係者の方々が驚いていたそうです。

「英国や米国のダービーは、海外ニュースで見ていたが、自分がそこで乗れるなんて夢にも思わなかった。この機会をぜったいに無駄にしないで、何とかいろいろなことを勉強したい」と思われたという保田先生。

やはりニュース映像で知っていた騎手のモンキー乗り。毎朝、調教で一緒に乗っている人の中から目につく上手な人の真似をし、少しずつアブミを短くして、だんだん慣らしていったそうです。

その他にも、調教方法、飼葉、装蹄の違いにも驚かれたとのこと。先生の滞在は5ヶ月間で、その間、目標にしたハリウッドパーク競馬場のサンセットH(4着)を含め、ハクチカラと5戦し、先生は、尾形藤吉調教師から呼び戻され帰国されます。

当時からアメリカでは、エージェント制で、エージェントがいないと騎手はレースに騎乗できなかったそうです。ようやくエージェントになってくれる人が現れてくれ、これから現地の厩舎の馬にも乗れると楽しみにしていた矢先の帰国は、とても残念だったそうです。でも、それだけ日本でも必要とされていた証ですよね。ハクチカラのワシントンバースデーハンデに騎乗できなかったけれど、優勝できて、ほんとうに良かったと思ったとおっしゃっていました。

帰国後、モンキー乗りの導入はもちろん、ジョッキールームをつくることを提言、ヘルメットは斤量に入れないなど負担重量の改善。また馬具(腹帯、手綱をすべらないゴム製にする)やムチも、当時日本では竹、良くてくじらのひげだったそうですが、アメリカのグラスファイバーを紹介するなどされました。

故武田文吾調教師が、「保田さんがアメリカへ遠征して、いろいろなことを持ち帰ってくれたおかげで、日本の競馬の発展は10年早まった」とおっしゃったそうです。

そうそう、保田先生とハクチカラは、初めて“ゲート”を体験した日本の騎手と馬なんですよね。(当時日本はまだバリヤー式。)

アメリカの競馬場で、何人かのベテラン調教師の方々から「ハクチカラ、覚えているよ。ワシントンバースデーハンデでアメリカのチャンピオン・ラウンドテーブルを破って勝った馬だね。もっともあの時、ラウンドテーブルはレース中に脚を痛めたんだけどね(と必ずこのフレーズは入るのですが――)。でも強かった。覚えているよ」と伺ったことがあり、とても嬉しく思いました。

1956年 東京優駿(日本ダービー)保田隆芳騎手とハクチカラ

14歳で騎手を目指し、競馬界入りされてから、騎手として35年、調教師として28年。戦争も経験されました。そして引退後も、ずっと競馬と馬を愛して生きてこられた保田隆芳先生。80歳を過ぎても、頭はシャープで、モンキー乗りのスタイルを床の上で披露できた若々しさ。常にピンと張った背筋に、馬一筋に生きてこられた保田先生の、自信と誇り、意志の強さを感じていました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

保田隆芳氏の騎手実績

初騎乗
昭和11年
通算成績
総騎乗回数
6,143
1着
1,295
2着
1,099
3着
910
4着
660
5着
577
着外
1,602
主な勝鞍
皐月賞(昭和43年マーチス)
ダービー(昭和31年ハクチカラ、昭和36年ハクシヨウ)
菊花賞(昭和28年ハクリヨウ、昭和34年ハククラマ、昭和38年グレートヨルカ)
桜花賞(昭和15年タイレイ、昭和27年スウヰイスー)
オークス(昭和13年アステリモア、昭和42年ヤマピツト)
天皇賞(昭和14年・秋テツモン、昭和24年・秋ニユーフオード、昭和25年・秋ヤシマドオター、昭和26年・秋ハタカゼ、昭和29年・春 ハクリヨウ、昭和31年・秋ミツドフアーム、昭和32年・秋ハクチカラ、昭和35年・春クリペロ、昭和41年・春ハクズイコウ、昭和41年・秋コレヒデ)
有馬記念(昭和32年ハクチカラ、昭和41年コレヒデ)
年間最多勝利騎手
(昭和29年〜)
昭和34年、昭和35年、昭和36年 計3回
優秀騎手賞等受賞回数
(昭和30年〜)
13回
騎手免許
昭和11年〜昭和45年
※昭和45年に調教師免許取得

ライタープロフィール

鈴木 淑子 (すずき よしこ)

東京都出身。川村短期大学卒業後、三菱重工業(株)秘書課勤務でOLを経験した後、『夕やけロンちゃん』(東京放送[TBS])で放送業界にデビュー。TBSのお天気キャスターなどで活躍。『競馬中継』(〜1985年)、『チャレンジ・ザ・競馬』(1985年〜)の司会を経て、『スーパー競馬』(フジテレビ)のコメンテーターを務めた。また、グリーンチャンネル『鈴木淑子のレーシングワールド』ほか、各地競馬場でのトークショーなどで活躍。三冠馬・ミスターシービーの大ファンとしても有名。

競馬かわらVANバックナンバー

競馬かわらVANはケータイサイトならびにNEXTでもご覧いただけます。

ケータイサイトやNEXT Ver.5では、記事の中の競走馬、騎手、レース成績などのキーワードがリンクされており、簡単に詳細情報を見ることができます。

競馬の総合情報ツールの決定版
JRA-VAN NEXT(ネクスト)

  • 予想機能・リアルタイムのオッズ・馬券購入など役立ち機能がたくさん
  • JRA公式データをリアルタイムで提供!

NEXT(ネクスト)詳細

今すぐお試し!1ヶ月無料(お試し版ダウンロード)

JRA-VAN
ケータイサービス

  • JRA公式データの充実度はそのまま!なのに、携帯画面でも見やすい!
  • 基本情報からお役立ち機能、お楽しみ要素までしっかりご用意しています

ページトップへ戻る

競馬予想のJRA-VAN