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競馬かわらVAN(リレーコラム)

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第35回 SS時代の一つの終わり

2009/1/19(月)

来るべき時が来た、と思った。

サンデーサイレンス

12月28日に2008年の中央競馬は、その全日程を終えた。そして種牡馬(しゅぼば)サンデーサイレンスが君臨してきた時代にピリオドが打たれた。

産駒(さんく)の獲得賞金で決まる種牡馬ランキングでサンデーサイレンスは1995年以来、07年まで13年間、トップの座を守り続けてきた。それも他の追随を許さない圧倒的な成績だった。ダービー6勝、皐月賞7勝、春秋合わせた天皇賞9勝、有馬記念5勝などの成績は、いずれも各レースの史上最多勝記録となった。

そんなサンデーサイレンスが08年は首位の座を明け渡したばかりでなく、総合7位にまで順位を落とした。

サンデーサイレンスは02年8月にこの世を去り、マツリダゴッホら03年生まれが最後の世代である。現役馬の数も少なくなり、07年には1316回あった出走回数が、08年は698回へと激減した。1頭当たりの平均賞金ではまだトップレベルを維持しているが、「数の力」で押してきた息子アグネスタキオンに王座を譲ることになった。

サンデーサイレンスの「馬生」は波乱に満ちていた。86年3月25日、米国に生まれた。父ヘイロー、母ウィッシングウェル(その父アンダースタンディング)という血統だった。決して一流とはいえない血統。やせてひょろひょろしていたといわれる幼年時代。様々な理由が重なり、買い手は現れなかった。2度競り市に出場したが、2度とも落札されることはなかった。あげくの果てに2度目の競りで売れ残り、牧場へ戻る時、乗っていた馬運車が事故を起こし、サンデーサイレンスもけがを負った。治療するため「入院」するはめに陥った。弱り目にたたり目とは、このことだ。

後にケンタッキー・ダービーやブリーダーズカップ・クラシックを制し、米国の年度代表馬に選ばれる名馬の幼少時代としては、なんとも寂しいエピソードだ。

だが、そんなサンデーサイレンスの才能を見抜いている人物がいた。米国競馬の殿堂入りを果たした調教師チャーリー・ウィッティンガム氏である。デビューに向けてのトレーニングの中でしなやかな動きをするサンデーサイレンスを高く評価した。そして、その評価通りの成績を残させた。

88年10月のデビュー戦から最終戦となった90年6月まで通算14戦9勝。2着5回。日本流にいえば、連対率10割。3冠こそ逃したが、ケンタッキー・ダービーとプリークネスSの2冠を制覇。そのほかにもGIを4勝した。

こんなサンデーサイレンスに早くから目をつけていたのが、社台ファームの吉田善哉さんだった。サンデーサイレンスが現役のうちに所有権の4分の1を取得していた。この契約が後に全株取得につながり、サンデーサイレンスが日本に輸入されることになった。当時の為替レートで16億5千万円(1100万ドル)という価格で購入されたサンデーサイレンスは、総額25億円のシンジケートが組まれ、91年から種付けを始めた。

フジキセキ 1994年(平成6年)朝日杯3歳ステークス

ディープインパクト 2005年(平成17年)日本ダービー

アグネスタキオン 2001年(平成13年)皐月賞

1年目から大物が誕生した。サンデーサイレンスとミルレーサーの間に生まれたフジキセキだった。栗東トレーニング・センターの渡辺栄調教師に育てられたフジキセキは94年8月の新潟競馬場でデビューすると、2着馬に8馬身(1秒3)もの差をつけて初陣を飾った。暮れの朝日杯3歳S(現朝日杯フューチュリティステークス)はスキーキャプテンと首差の勝負となり、これをものにした。3戦全勝の成績で94年を終え、JRA賞最優秀2歳牡馬に選出された。年明けの弥生賞も快勝、皐月賞の最有力候補になったが、脚部不安を起こし、そのまま引退した。

フジキセキという大エースは戦線離脱したが、それでもサンデーサイレンス2世の層は分厚かった。皐月賞はジェニュインが優勝、2着にもタヤスツヨシが入り、上位を独占した。タヤスツヨシはその後、ダービーを制した。この年、オークスもダンスパートナーが優勝し、クラシック5レースのうち3レースをサンデーサイレンス産駒が制覇することになった。

その後の活躍はご存じの通り。スペシャルウィーク、アドマイヤベガ、アグネスフライト、ネオユニヴァースがダービー馬に輝き、05年には最高傑作といわれるディープインパクトが皐月賞、ダービー、菊花賞を制し、史上6頭目の3冠馬に輝いた。

08年はリーディングサイヤー首位の座から陥落したばかりでなく、94年のフジキセキの朝日杯3歳Sから続けていたGI優勝という記録も14年で途切れた。しかし、この間のGI勝ち星は計71。おそらく今後も破られることはない大記録だ。

08年、サンデーサイレンスを引きずりおろして種牡馬ナンバーワンの座に就いたのは息子のアグネスタキオンだった。キャプテントゥーレ(皐月賞)、ディープスカイ(NHKマイルカップ、ダービー)、リトルアマポーラ(エリザベス女王杯)、ダイワスカーレット(有馬記念)がGIを制するなど産駒は129勝を挙げ、33億円あまりの賞金を稼いだ。

さらに2位になったフジキセキ、3位のダンスインザダークまでがサンデーサイレンスの子どもたちで占められた。

また母の父としてのブルードメアサイヤーランキングでは、2位のトニービンの倍近い賞金を稼ぎ、堂々の首位。こちらは06年に初めて首位に立ってから、これで3年連続のトップとなった。

このようにサンデーサイレンスは表舞台から姿を消したが、影響力は厳然と残っている。日本一の大河は今、日本一の伏流水になり、地下に潜っただけで、その威力に陰りはないのかもしれない。



サンデーサイレンスの血統

サンデーサイレンス
青鹿毛 1986年生
Halo
1969年生
Hail to Reason
1958年生
Turn-to
Nothirdchance
Cosmah
1953年生
Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975年生
Understanding
1963年生
Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower
1964年生
Montparnasse
Edelweiss

ライタープロフィール

有吉 正徳 (ありよし まさのり)

1957年1月生まれ、福岡県出身。1984年東京中日スポーツ入社、競馬を担当。92年朝日新聞社入社。東京本社運動部(現スポーツ部)、大阪本社スポーツ部で競馬、サッカー、アメリンカンフットボールなどを取材。02年10月から半年間、英国に留学、現在は東京本社スポーツグループに所属。

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