JRA公式データ配信サービス JRA-VAN

馬券購入に役立つオッズ情報や競馬情報をはじめ、競馬データによる競馬予想の楽しさをご紹介。

  • メール:office@jra-van.jp
  • 受付時間:10:00〜17:00
  • ※競馬開催のない土日祝・火曜を除く
  • ホーム
  • サイトマップ
  • JRA-VAN広場

競馬かわらVAN(リレーコラム)

競馬かわらVANバックナンバー

第26回 私の原点、現場取材

2008/11/17(月)

私がかつて所属し、現在でも仕事をさせてもらっているラジオNIKKEIでは、取材活動にもかなりのエネルギーを注いでいる。これは昭和31年、競馬中継開始以来の基本的なコンセプトで、今も原則的には変わっていない。当時は関東の一つの競馬場だけの中継であり、25分ないし30分のレース間隔のインターバルを、単に現場だけの情報だけでは埋めきれなかった点と、レースの背景をより充実させる為という二つの観点から、取材は不可欠なものであった。従って内容的にも趣向をこらし、時間的にも7分から10分程度のコーナーを作ることができたのだが、現在は三つの競馬場の総ての馬券を買えるようになった為に、当日の情報だけでかなりの時間を要してしまい、あまりまとまった内容のコーナーができなくなってしまっている。オッズ、パドック解説、そしてレース実況、成績、払い戻しなどが、どうしてもおろそかにできないだけに、いたしかたのないところではある。それでも週に一度のトレーニングセンターの取材、そしてレース後の関係者の取材は、欠かさず続けられている。それは関係者とのコミュニケーションづくり、つまり友好的な関係を保っておくことが大きな理由の一つ。“取材は顔”と言われるが、確かに見ず知らずの人間に話しかけられて、そう簡単に核心の部分は話しにくいことは想像に難くない。又、取材の相手の生活パターンや行動範囲などを理解していれば、余計な迷惑をかけることも少なくなってくる。それからもう一つは、取材する人間の成長という点が掲げられる。何といっても馬に関してはエキスパートの人々である。その一言一言によって得られる知識が貴重なのはもちろん、その人の考え方、馬に対する思いを知ることは、必ず取材する人間の財産にならぬ筈はない。

さて、私がいやいやながら競馬の担当に配属された頃、昭和45年の頃は、東京競馬場や中山競馬場、そして白井分場に馬は繋養され、調教師をはじめ、多くの関係者は周辺に居住している状況であった。従って調教の取材をしようと思えば、各競馬場に出向いていかなければならないのだが、三つの場に出向く人員は当然いるわけもなく、ポイントになりそうな馬の関係者を決めて、一つの競馬場に絞り、そして他の取材もさせてもらう状況であった。只、当時は前の晩から宿泊して早朝に備えるという体制がなく、朝一番の電車で向かっても追いきりに間にあわないことが随分あって、困ったことを記憶している。それに当時は今以上に名人気質というのか、口の重い人が多く、取材をさせてもらうこと自体大変な時代であった。何度も執拗にお願いして、とうとう厩舎の羽目板でそれ以上後にさがれない状況でインタビューしたことも思いだされる。このように、渋々でも答えてもらえる場合はいい方で、けんもほろろの状況で追い帰されたり、マイクを見ただけで逃げ出されたケースは数えきれない。中には話しだけならするが、マイクで録音されるのは嫌という関係者も多かった。我々の仕事では音素材を持ち帰らない限り仕事をしたとは認められず、途方に暮れて、社に帰る際にずっと言いわけを考えていたこともあった。

そうした新米アナウンサーにとって神様のような存在だったのが小堀孝二さんである。遠州流で有名な小堀遠州の子孫で、日本経済新聞の記者であった。昭和31年の競馬中継開始にあたって、ラジオNIKKEIと日本中央競馬会の橋渡しにも尽力され、長く解説者を勤めて頂いた方である。学生時代にはボクシングも経験し、ガッチリとした体型で武智鉄二さんの作品に登場する“駒下駄のコーちゃん”のモデルだったと伺っている。70歳を過ぎても資料の入った重い鞄を片手に、丁寧に厩舎を巡る姿は今でも忘れられない。とにかく古くから交際の深い調教師が多く、競馬関係者の間ではほとんどの人が、小堀さんを知っているというほどであった。競馬が終わった後、小堀さんは厩舎地区へ向かい、一軒ずつ調教師を訪ね、話しを聞くのが常であった。その御供で我々スタッフがついて歩くのも恒例になっていた。そして小堀さんの口ききで取材ができた例が何と多かったことか・・・。私だけでは何度訪ねても取材できないような方達の話しを聞けたのは貴重な体験であった。と同時に、小堀さんと関係者のやりとりを聞いている内に、馬に関するインタビューのノウハウを数多く吸収できたように思う。話しのきっかけのつくり方、転換、核心の探り方など随分参考になった。競馬の取材というと、どうしても勝つか負けるかの話しが中心になりがちだが、競馬場の歴史、伝説の人々、名馬のエピソード、あるいは基本的な馬に関する知識が、今思えば贅沢なほどかわされていたように思う。当時の話しを記録しておかなかった事が悔やまれる。というのは当時の私は、まだ競馬自体に本格的にのめりこむ前の状態で、競馬が終わった後は一刻も早く帰宅したい気持ちの方が強く、話しを聞きながらも半分は上の空であった。バチあたりな話しである。

さて、当時、取材を嫌がる関係者の中で、積極的に協力してくれた方達もいたのである。大久保洋吉調教師の父上の大久保末吉調教師がその代表。マスコミの報道無くして競馬の発展は無いと当時から語っておられた。もちろん我々の取材に協力してくれるのはもとより、調教師席で他の調教師から取材を断られている我々の姿を見かけると、説得にあたってくれたりもしたのである。地獄で仏とは正にこういうことを言うのであろう。自厩舎の馬に限らず対戦相手の分析にも優れた方で、根本的な競馬の捉え方を教えて頂いたように思う。他にも小堀さんの御蔭で橋本輝雄、森末之助、仲住芳雄、矢野幸夫、稲葉幸夫調教師の門戸が開き、更に所属していた騎手、更には多くの関係者への道筋が広がっていった。現在でも競馬関係者の口は決して軽くはないが、何とか口を開いてもらえるようになってきたのは、この時代の経験が大きい。

そしてもう一つ、小堀さんに教えて頂いたのは、取材の基本姿勢に於ける公平性ということである。親しい人にだけ偏ることが無いということはもちろん、相手も話しにくい、こちらも聞くのがはばかられるような話題でも、必要とあればしっかりと聞く態度を学んだように思う。やはり人間同士であるのでどうしても気を遣いすぎてしまって、非常に気まずい思いをすることもあるが、報道の原則を勇気をもって貫く姿勢を示して頂いたような気がする。

今でも取材の際は緊張してしまう。相手を傷つけたり、本質を見失っていないか、いろいろ気を遣う点が多く、時には気の重い取材もあるが、この取材が私を成長させてくれた原点であり、又、いい話しを聞けた時の充実感は何物にも換え難い。現在は引退した厩務員の取材をさせてもらっているが、いずれまとまった形でご披露したい。

ライタープロフィール

白川 次郎 (しらかわ じろう)

1945年11月生まれ、高知県出身。元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで現在はフリーアナウンサー。ラジオNIKKEIにて『中央競馬実況中継』など、競馬番組を中心に担当している。また、関東地方の独立UHF放送局放送『中央競馬ハイライト』の土曜日キャスターとしても出演している。

競馬かわらVANバックナンバー

競馬かわらVANはケータイサイトならびにNEXTでもご覧いただけます。

ケータイサイトやNEXT Ver.5では、記事の中の競走馬、騎手、レース成績などのキーワードがリンクされており、簡単に詳細情報を見ることができます。

競馬の総合情報ツールの決定版
JRA-VAN NEXT(ネクスト)

  • 予想機能・リアルタイムのオッズ・馬券購入など役立ち機能がたくさん
  • JRA公式データをリアルタイムで提供!

NEXT(ネクスト)詳細

今すぐお試し!1ヶ月無料(お試し版ダウンロード)

JRA-VAN
ケータイサービス

  • JRA公式データの充実度はそのまま!なのに、携帯画面でも見やすい!
  • 基本情報からお役立ち機能、お楽しみ要素までしっかりご用意しています

ページトップへ戻る

競馬予想のJRA-VAN