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競馬かわらVAN(リレーコラム)

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第22回 日本のモンキーの歴史

2008/10/20(月)

昨年のジョッキーマスターズのレースは、非常に興味深かった。それぞれ減量したり、乗馬訓練をしたりと、真剣な態度でのぞんでいたことを確認していただけに、血をたぎらせ大いに楽しんだに違いない。只、その直後、検量室で腰が伸びなかったり、足をひきずる姿を見たときには、思わず吹き出してしまったが・・・。やはり膝が胸に着くあの独特の騎乗フォーム、スキーのジャンプ競技を思わせるスタイルがどれだけ辛いか、又、調教とレースがいかに違うものか、改めて認識した次第である。

今では競馬学校の騎手課程の生徒でも取り入れているあのモンキースタイルといわれる騎乗フォームが日本でも普及したのは、昭和30年代も半ばになってからである。当時の競馬関係者の間では、海外の競馬先進国では、極端に鐙を短くしたフォームで騎乗しているということを、かなりの人が知識として知っていたようだ。その情報源というのは、何と街の映画館であったという。映画館では、お目あての映画の前には、必ず予告編が映写され、そしてニュース映像が付き物であった。海外の様々なニュースと共に、ケンタッキーダービーの映像も流れていたそうだ。当然、即、取り入れる人が現われてもよさそうだが、当時の競馬界では、まだ機が熟していなかったのか、チャレンジまでにはもう少し時間がかかった。

1956年 東京優駿 ハクチカラ バリヤー式発馬機

日本で初めて、このモンキースタイルに挑戦したのは、保田隆芳さんであった。保田さんは昭和33年、6月からハクチカラと共にアメリカに遠征し、約6ヶ月間滞在していた。その時にアメリカのジョッキーを真似てモンキースタイルで騎乗してみたそうだが、鐙を思いきって短くすると、腰から股に負担がかかり、非常に苦しかったそうだ。そこで、時間をかけて少しずつ短くして、徐々にその感覚をマスターして行ったわけだが、モンキースタイルにした効果は、確実にあったと保田さんは語っている。ハクチカラは、日本では1800mを1分53秒ぐらいで走っていたのが、1分48秒ぐらいで走るようになった。もちろん馬場も違い、スパイクを履くようにはなっていたが、明らかに時計は速くなったそうだ。

さて、日本に帰国し、アメリカ仕込みのモンキースタイルを試そうとした保田さんの前に、一つの障害が待ち受けていた。アメリカではもう既にゲート式の発馬機が行き渡っていたのだが、日本ではまだバリヤーによるスタート方式であった。従ってスタートの際には、馬の首を常にスタート方向に向けていなければならないのだが、鐙が短すぎると、どうしても馬を制御しきれなくなってしまう。そこで保田さんが考えだしたのが、日本式のモンキースタイル。鐙のベルトの穴を、一つ、ないし二つ長めにして対応するもの。その後、日本でもゲート式の発馬機が普及し、と同時にモンキースタイルが主流を占めることになるのだが、保田さんが始めたからこそ、日本の競馬の社会でもスンナリ受け入れたような気がする。そうでなければ日本のモンキースタイルへの移行は、もう少し時間を要したに違いない。

さてアメリカから帰った保田さんが始めたもう一つ、ジョッキーにとっての革命があった。簡単に言えば食事制限である。当時は、メシも食えないような男は、ロクな仕事もできないという風潮の時代であったし、又、命を的に騎乗していたジョッキーの気持ちの中には、うまいものは食べられるときに食べておこうというものがあったと聞いたことがある。土曜、日曜の競馬の日の絶食状態から解き放たれたその日曜の晩から一気に食べ始め、水曜以後は減食ないし絶食という状況になり、更にサウナやスチームバスで汗取りという生活になる。肝心の競馬の日には、体力を奪われ、立つのがやっとという状態のジョッキーもいたと聞く。「這うように検量室に入って行った先輩が、それでも馬に乗るとシャンとするんだからたいしたもんだよな。」と語ったのは、現役時代、減量に苦労することのなかった増沢末夫さんである。その増沢さんでさえ、競馬の日はコーラしか口にしなかったという。

こうしたジョッキーの食習慣というのは、保田さんでさえ例外ではなかった。しかしアメリカのジョッキーと触れ合い、その食生活を目の当たりにした保田さんは、自らの習慣を変えることになる。日本のように競馬は土・日だけというシステムと異なり、アメリカでは連日、競馬が行われていることが多く、ジョッキーは日々、その体調管理に努めているのだが、保田さんは帰国後、米を一切、口にしなくなった。大好きなお酒を断つことはなかったが、肉、魚、野菜などの分量を決め、それを守り、そのパターンはジョッキーを引退してからも変えていないそうだ。当然、奥様の協力があってのことであるが、陰の苦労が偲ばれる。保田さんがジョッキーを引退されたのは、50歳になる一ヶ月前。当時としては、いや現在でも長い騎手寿命といえよう。保田さんが引退した2年後に、3歳(現2歳)の牝馬の負担重量がひき上げられたのだが、それがわかっていれば、もう少し乗っていたかったですねと語っている。

改めて保田さんの騎手時代の成績を見てみると、天皇と称された理由がまざまざと理解できる。その背景にあるのは、あくまでも乗りたいという意欲、その為に何をすべきかという、日々の摂生、そして何よりも新しいことにチャレンジしつづけた、進取の精神ということになるだろう。保田さんの「一生、勉強ですよ。」という言葉が、年々、重みを加えて胸に残る。

 

保田隆芳氏の騎手実績

初騎乗
昭和11年
通算成績
総騎乗回数
6,143
1着
1,295
2着
1,099
3着
910
4着
660
5着
577
着外
1,602
主な勝鞍
皐月賞(昭和43年マーチス)
ダービー(昭和31年ハクチカラ、昭和36年ハクシヨウ)
菊花賞(昭和28年ハクリヨウ、昭和34年ハククラマ、昭和38年グレートヨルカ)
桜花賞(昭和15年タイレイ、昭和27年スウヰイスー)
オークス(昭和13年アステリモア、昭和42年ヤマピツト)
天皇賞(昭和14年・秋テツモン、昭和24年・秋ニユーフオード、昭和25年・秋ヤシマドオター、昭和26年・秋ハタカゼ、昭和29年・春 ハクリヨウ、昭和31年・秋ミツドフアーム、昭和32年・秋ハクチカラ、昭和35年・春クリペロ、昭和41年・春ハクズイコウ、昭和41年・秋コレヒデ)
有馬記念(昭和32年ハクチカラ、昭和41年コレヒデ)
年間最多勝利騎手
(昭和29年〜)
昭和34年、昭和35年、昭和36年 計3回
優秀騎手賞等受賞回数
(昭和30年〜)
13回
騎手免許
昭和11年〜昭和45年
※昭和45年に調教師免許取得

ライタープロフィール

白川 次郎 (しらかわ じろう)

1945年11月生まれ、高知県出身。元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで現在はフリーアナウンサー。ラジオNIKKEIにて『中央競馬実況中継』など、競馬番組を中心に担当している。また、関東地方の独立UHF放送局放送『中央競馬ハイライト』の土曜日キャスターとしても出演している。

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