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第21回 心に残る名馬たちNo.6 テンポイント

2008/10/13(月)

“心に残る名勝負、名場面は?――”と聞かれれば、オールドファンの多くは、“テンポイントとトウショウボーイが激突の有馬記念”こう答えることでしょう。私も迷うことなく“昭和52年暮れの有馬記念”と、胸を張って答えてきました。

宿命のライバルといわれてきたトウショウボーイとテンポイント。相まみえること2年にわたって6度、GTレースの成績は3勝1敗、前年の有馬記念はトウショウボーイ1着、テンポイント2着と優位に立ってきたトウショウボーイ、その現役最後のレースとあれば前年の雪辱をとテンポイントが闘志をかき立てて当然でしょう。両雄の気迫がぶつかりあった有馬記念でした。

1977年 有馬記念 テンポイント

好スタートから積極策に出たトウショウボーイ武邦彦、楽に先行させては捕えられないと馬体を合わせて競い合う作戦に出たテンポイント鹿戸明。トウショウボーイが控えれば先頭を走り、並んでくれば決して引かない。内に入ったり外に出たり、2,500mの距離にがっぷり四つに組んでの両馬の横綱相撲に、スタンドは手に汗にぎって興奮、感動、見るものを大いに楽しませてくれた有馬記念でした。

結果は前年の雪辱に燃えたテンポイントの気迫がまさって、トウショウボーイを3/4馬身突き放しての優勝でしたが、あの日のレースぶり、あのときの感動は決して忘れられず、いまでも鮮明に思い出されてきます。

当時、担当記者として身近かで取材にあたってきたのは、関東馬のトウショウボーイでしたが、関西馬のテンポイントも縁浅からず、私にとって心に強く残る名馬の一頭なのです。というのも私が競馬記者になって、初めて北海道の牧場を訪れたのは、テンポイントの生まれ故郷の吉田牧場でした。北海道の夏競馬担当となって2年目、昭和47年です。まだテンポイントは生まれておらず、皐月賞馬リュウズキのふる里、その程度の知識しかなく、足を向けたのは千歳空港から車でわずか15分の便利な牧場、そんな理由からでした。しかし突然訪ねた記者を牧場主の吉田重雄さんは、広い牧場を親切に案内してくれて、輸入したばかりの繁殖牝馬のジネヴラ(イギリスのオークス馬)や、種牡馬コントライト(テンポイントの父)を見せてくれたり。そして母子の群れが遊ぶ放牧場の前で聞かされたのが、テンポイントの祖母クモワカの悲話でした。

桜花賞2着、菊花賞4着をはじめ11勝を挙げたクモワカ。しかし5歳の秋に「伝染性貧血症」と診断されて、その年の暮れに殺処分命令が下されました。無実を信じるオーナーは、獣医であった重雄さんの父一太郎氏にすがって、クモワカの逃避行がはじまりました。そして裁判闘争。嫌疑が晴れて殺処分命令は取り消され、再び血統登録が受け付けられるまで、10年の長い歳月が費やされたそうです。

晴れて自由の身となり、昭和38年に生まれてきたのが、テンポイントの母ワカクモです。ワカクモは母が2着と涙を飲んだ桜花賞に優勝、7歳まで元気に走って、母クモワカと同じ11勝を挙げています。私が放牧場で出会った母子が、ワカクモとテンポイントの1歳上の姉オキワカでした。本来なら生まれてくるはずのなかったワカクモ、そしてテンポイント。そんな悲運な星の下に生まれてきた馬には、ことのほか愛着をおぼえるものです。

しかもテンポイントは、当時でも異例ともいえる早い東上で、年明けての1月20日には皐月賞、ダービーを目指して東京競馬場にやってきています。ダービーを戦って栗東トレセンのわが家に帰るまで、4ヶ月半もの長い間、東京、中山両競馬場で、担当の山田厩務員と寝起きを共にするテンポイントの日々で、この間私も身近かで接してきました。

3歳夏の函館戦でデビューして暮れの阪神3歳Sまで、2着馬を10馬身、9馬身、7馬身差と、大きく突き放して3連勝のテンポイント。この関西期待の星は、強いばかりでなく、気品に富んだ栗毛のあか抜けした馬体に、多くのファンが魅かれていき、このクラシック候補は“貴公子”と親しまれ人気を高めていきました。

東京4歳S(現:共同通信杯)、スプリングSと勝ち進んで、土つかずの5連勝で迎えた皐月賞。その貴公子の前に立ちはだかったのが、終生のライバルとして人気を二分して当時の競馬を盛り上げたトウショウボーイです。

1976年 菊花賞 グリーングラス

デビューは4歳の1月末と遅かったが、3連勝で皐月賞にコマを進めてきたトウショウボーイに、0秒8差の2着と初めて敗れたテンポイント。以後は調子を落としてダービーでは7着と馬群に沈み、しかも脚部骨折の憂き目に。秋に復帰したものの菊花賞、有馬記念ともに2着惜敗に泣き、勝運に見放されてシーズンを終えています。

しかし新しい年を迎えてテンポイントは不死鳥のごとく蘇えりました。天皇賞(春)そして暮れの有馬記念のGT2勝を含む7戦6勝、唯一の敗戦は宝塚記念のトウショウボーイの2着で、この年は年度代表馬の栄誉をも手に入れています。そしてトウショウボーイ引退後は、国内にもはや敵なしと海外へ目を向けたテンポイントでしたが・・・。

1978年 日経新春杯 テンポイント

小雪が舞う寒い京都競馬場の日経新春杯は、旅立ち前の壮行会でした。66.5キロの重量を背負っても、ファンの多くは勝利を確信して圧倒的な一番人気。しかしこれからという4コーナーで、まさかの故障発生。このアクシデントをだれが予測したでしょうか。テンポイントの運命は明から一転して暗へ。海外遠征は夢と消えていきました。

“生命だけは助けてあげて・・・。”悲報を知った全国ファンの願い、訴えに、異例の大手術を行ったテンポイント。しかし多くのファンの祈り、人事を尽くした治療や看護のかいもなく、骨折事故から43日目の3月5日、テンポイントは眠るように静かに、わずか5年足らずの短い生涯を閉じています。

医師団が発表したその日のテンポイントの容態を、新聞紙上で毎日書いた「テンポイント病状日記」は、記者の私の忘れることができない仕事の一つです。

 

1977年12月18日 第22回有馬記念

着順
枠番
馬番
馬名
性齢(旧年齢)
騎手
調教師
タイム
着差
1
3
3
テンポイント
牡5
鹿戸 明
小川 佐助
2.35.4
2
1
1
トウショウボーイ
牡5
武 邦彦
保田 隆芳
2.35.5
3/4
3
6
6
グリーングラス
牡5
嶋田 功
中野 隆良
2.35.6
1/2
4
5
5
プレストウコウ
牡4
郷原 洋行
加藤 朝治郎
2.36.6
6
5
2
2
トウフクセダン
牡5
宮田 仁
大久保 末吉
2.37.2
3 1/2
6
4
4
シンストーム
牡7
横山 富雄
尾形 藤吉
2.37.4
1 1/2
7
7
7
スピリットスワプス
牡5
中野 栄治
荒木 静雄
2.37.4
アタマ
8
8
8
メグロモガミ
牡4
東 信二
境 勝太郎
2.37.4
ハナ

ライタープロフィール

原 良馬 (はら りょうま)

1933年10月生まれ、群馬県出身。デイリースポーツ東京本社、中央競馬の予想記者担当を経て、独立。競馬ジャーナリスト活動を本格化した。ラジオNIKKEI『中央競馬実況中継・土曜日午前中』、テレビ東京『ウイニング競馬』のレギュラー解説、また雑誌の競馬コラムや美浦トレーニング・センターで行われるGIレース公開調教会の司会進行なども担当している。

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