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競馬かわらVAN(リレーコラム)

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第15回 北京五輪と競馬

2008/9/1(月)

競馬場に行かず、テレビ中継も見ず、馬券も買わなかった。この3週間、競馬から離れた生活を送った。こんなに長い期間、競馬にかかわらなかったのは、競馬記者になって初めてだった。

北京五輪の取材のため中国に出張していた。8月5日に香港に入り、21日まで馬術の取材。22日に北京に移動した後、24日の閉会式を見届け、26日に帰国。ちょうど3週間の出張だった。

香港の馬術会場は沙田(シャティン)競馬場のすぐ隣に新設された。日本の競馬ファンが沙田競馬場といって思い出すのは、ステイゴールドやアグネスデジタル、エイシンプレストンらが活躍した競馬場だということだろう。現地で聞いた話では、1995年にフジヤマケンザンが日本調教馬として初めて香港カップを制した時、地元紙は1面で、その快挙を報じたという。

五輪の行われた8月はもともと香港競馬のオフシーズン。実際に競馬が行われている現場に立ち会うことはできなかったが、この中断期間中にも、地元紙には連日、競馬の記事が載り、町のいたるところにある場外馬券売り場では、サッカーくじが売られていた。「競馬先進国」である香港の競馬の熱気を肌で感じた。

五輪の馬術でも香港が持つ底力が発揮された。競馬と馬術。競技は違っていても、人と馬が一心同体になって勝ち負けを競うスポーツという点で共通する。香港競馬が100年間で培ってきた馬のもてなしは参加選手、関係者の誰もが絶賛するものになった。

馬術競技に出場する約200頭の馬のために新築された厩舎は冷房完備の最新型だった。8月の香港は高温多湿で競馬も中断されるぐらい馬にとって気候は厳しい。冷たい霧状の冷気が吹き出す装置もあり、暑さ対策には万全の気配りがなされていた。

ドイツを本拠にする法華津寛選手、これが4大会連続の五輪出場となった杉谷泰造選手は「世界一といってもいい施設」と口をそろえていた。

馬術競技が開催都市と別の場所で行われるのは1956年メルボルン大会以来だった。オーストラリアは検疫態勢が厳しく、競技馬の入国がむずかしかった。そのため馬術だけはスウェーデンのストックホルムで行われるという異常事態となった。

今回も中国本土に位置する北京は検疫で問題を抱えていた。そこで競馬開催で馬の輸出入などのノウハウを持っている香港が会場誘致に乗り出したのだ。

日本馬術チームの長島監督は香港での五輪運営に感心していた。「空港に馬が到着すると、白バイとパトカーの先導で1時間後には厩舎に到着していた。馬のためには最高でしたね。別の国際大会で同じことをするのに6時間かかったこともありました」。至れり尽くせりのもてなしに出場した各国の選手らは満足して帰っていった。

スイスの一線級選手が「暑さが厳しい」として、香港へ馬を連れて行くのをやめ、個人的に「五輪ボイコット」をした例があった。その選手は今頃「行けばよかった」と後悔しているかもしれない。

北京五輪でのバラグール

そんな馬術取材の中で1頭のロシア馬に興味を引かれた。バラグールという名の芦毛の18歳である。バラグールは今大会の馬場馬術に出場した中で最年長のベテランだった。馬場馬術の競技馬といえば、スマートであか抜けしているのが普通なのだが、バラグールは「胴長短足」のずんぐりむっくり。そんな体形も僕の興味を倍加させた。

ロシアの女子選手アレクサンドラ・コレロワのパートナーであるバラグールは、不思議な経歴の持ち主だった。「前職」はなんと騎馬警官隊。さらに驚いたことに騎馬警官隊に所属する前は、サーカスで飼われていたという。

騎馬警官隊に所属していた時、ロシアの有名な馬術選手が行進するバラグールを見て、「馬場馬術の才能がある」と見抜いた。バラグールが11歳の時だった。馬場馬術ではパサージュやピアッフェという独特のステップを踏む。馬術選手はバラグールのそのステップの素質を感じたのだそうだ。

バラグールは馬場馬術の先進国ドイツに送られて、みっちりと訓練された。そして国際大会に出場できるまでに技を上達させた。

北京五輪でバラグールとコレロワは、個人2次予選で5位になり、15人馬が出場できる決勝に進んだ。自由に演技する決勝(グランプリフリースタイル)ではブロードウエー・ミュージカルの音楽をバックに踊ってみせた。6位入賞。コレロワは「素晴らしい点を出してくれた。私が乗った中では最高の馬です」と話した。

シルバータイセイ 昭和59年11月3日 京都4R サラ系障害4歳上

かつて競走馬から転向して、五輪出場を果たした日本の競技馬にミルキーウェイという馬がいた。彼の父はシルバーランド。シンザンの子どもだった。ミルキーウェイはシンザンの孫だったのである。

競走馬としてシルバータイセイという名前で走ったミルキーウェイだったが、通算20戦1勝と結果を残すことはできなかった。しかし沢井選手に見いだされ、馬術に転身してからは新しい才能を発揮した。ついには88年ソウル五輪の障害飛越に日本代表として出場するまでになった。

ミルキーウェイのように競走馬からの転向で馬術の名馬になることはたまにある。しかしバラグールのような経歴の持ち主は珍しい。高齢であるため、そろそろ競技からの引退も考えているという。どこかでまたバラグールに会えたらいいなと思う。

競馬以上に選手の比重が大きな馬術だが、時にはバラグールのように選手を「食って」しまう馬もいる。馬を見ていて楽しいのは馬術も競馬も同じだと感じた3週間だった。

 

シルバータイセイ(ミルキーウェイ)号の血統

シルバータイセイ
芦毛 1981年生
シルバーランド
1970年生
シンザン
1961年生
ヒンドスタン
ハヤノボリ
ヤサカランド
1959年生
ヤサカ
ホワイトランド
タイセイランド
1976年生
ネプテューヌス
1961年生
Neptune
Bastia
エリーナターフ
1965年生
フェリオール
キーンランド

ライタープロフィール

有吉 正徳 (ありよし まさのり)

1957年1月生まれ、福岡県出身。1984年東京中日スポーツ入社、競馬を担当。92年朝日新聞社入社。東京本社運動部(現スポーツ部)、大阪本社スポーツ部で競馬、サッカー、アメリンカンフットボールなどを取材。02年10月から半年間、英国に留学、現在は東京本社スポーツグループに所属。

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