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第14回 心に残る加賀武見さんの言葉

2008/8/25(月)

今年2月、加賀武見調教師が競馬の世界から引退された。ファンの前での引退式もなく、淋しいお別れであった。私が競馬の仕事を始めた時には、既にスーパージョッキーとして活躍し、胸をときめかせながらそのプレーを見ていただけに、胸の中にポッカリと空洞ができたような思いだった。加賀さんの取材を随分してきたが、今でも記憶に残る興味深いものが多い。当時の録音を聞きながら改めて紹介してみたい。

加賀武見さんは、幼い頃から苦労して育ってきたこともあって、自分で道を切り開いてきた人である。その気持ちの強さは、騎乗ぶりにも、日常の言動にも現れていたように思う。自ら「アサカオーのような根性のある馬が好き」と語るように、まさに闘志の人であった。記者から不用意な質問が出たりすると、「もう少し勉強してから聞きに来てよ。」とたしなめられることもあった。レースの日はもとより、調教の時間帯など、厳しい表情と体から溢れる気迫で、とても近寄れたものではなかった。といって一切人を寄せつけないかというと、そうではなく調教後には、記者を相手に真剣に話してくれたものである。加賀さんは、我々にも理解しやすいような表現力を持った人であり、何といっても競馬に対する情熱が伝わってきて、話を聞くたびに胸が高鳴ったのを思い出す。

加賀さんは新人ジョッキーの頃からズバ抜けた成績を挙げているのだが、その秘密を聞いてみると、研究心旺盛な部分が顔を出している。取材テープを再現してみよう。「デビューした当時、保田隆芳さんっていう方がいましたよね。僕が競馬場に入った時からあの人は僕の鏡でしたね。その鏡を見てお手本にして、自分の腕を磨いていこうとする気持ちがね、凄く強かった。だからもう保田さんに迷惑だったかもしれないけれど、あの人はわからなかっただろうと思う。調教の時でもね、なるべくならあの人の側で調教しようと思ってね。それはなぜかっていうと、我々は乗り方とかはっきりいってわからないんですよ。自分の調教師さんには『こう乗りなさい、ああ乗りなさい。』って指示はしてもらう。だけど現実に乗って自分の鏡になる人っていうのはね、どういう乗り方をするか、どういう馬のあたり方をするか、それを非常に勉強したかった。」技術の習得は見て憶えろと言われるが、それを裏付けるコメントがある。「僕は保田さんに一切聞かなかった。これはもうはっきり言ってね、プロは絶対に言いませんから。これは、自分の持っているものは絶対プロでいる限り言わないと思う。馬を下りて、反対の立場になった時はアドバイスはすると・・・。で保田さんだって、もっともっとって。おそらく自分を磨いたと思いますね。だから人に教えるとか、それはなかったろうと思う。これは我々にもそうですね。自分で相手のものを見て勉強しなさいと・・・。」更に調教がいかに大事かを力説する。「調教嫌いな者は絶対駄目。なぜかっていったら、調教で自分の体をいじめ抜いて、鍛え抜いていった者は、勝負へ行って凄く楽になっちゃう。それだけ自分に全ての物を叩き込んでおくから・・・。だから本番になったら、今まで叩き込んで入れた物はね、全部出していける。迷いがなくなる。」

競馬に対する基本的な考え方を示す話も聞いた。「デビューした時からほんとうにやさしい馬は回ってこなかった。昔の調教師さんというのは、この騎手にはこういう馬に乗せようかと考えてた。どっちかというと僕の場合、気難しい馬の方が好きだったから。例えば図太い馬だとか、追わせる馬とか、それからとにかく気の難しい馬とか・・・。だからポーンとハナ行くから、ずっとつかまっていれば勝てるっていう馬は回ってこなかった。荒っぽい馬は子供の時から好きだったけど、それでとにかく思いっきりやりたい方なの。ああせい、こうせいと考える方じゃない。思いっきり馬と走りたいという気持ちが強かったから、だからそれを常に調教から、馬がデビューして勝負に乗ってるのを見てね、調教師さんが、『あっ加賀はやっぱりそういう性格だから、こういう馬を持っていこう』って・・・。とにかくこれはズブいから乗ってみてくれとか、ちょっと馬鹿つくから乗ってみてくれとか・・・。そういう馬の方がよかったから、僕はその調教師さんにありがとうって頭下げたの。やっぱりデビュー当時にそういうスブい馬に乗せてもらったということは、これは追わなきゃならないでしょう。それで凄く練習ができたっていうことですね。それとそういう馬に乗ると、非常に頭を使わなきゃならないでしょう。どう乗ればいいかとか、乗せてもらった以上は、これは僕が操作しなきゃならないでしょう。だからあくまで馬と相談しなければならない。自分はこう行くから一緒に行こうって言ったって、それは動きっこないですよ。」

ベルワイド 1972年(昭和47年)天皇賞(春)ベルワイド 1972年(昭和47年)天皇賞(春)

加賀さんは、逃げ馬で追いこんだり、追いこみ馬で逃げきるという、見る者の意表を突いたレースをすることが多かったと思う。そこでこの“馬との相談”という表現は、なかなか味わいのある言葉なので、もう少し詳しく語ってもらった。「スタート出ればわかるから。ポッと出たら、あ、これなら行けるなと思ったら抑えることないんだから。ちょうど馬がそういう気になっている時に抑えたら、馬も嫌になっちゃうのね。だから常に『馬の気に乗れ』って、昔の言葉にピッタリの、それじゃないかなと思ってね。僕はそんなに誉められたことはなかったけれど、僕の師匠の阿部正太郎先生に誉められたのは、2回だけだったね。それが、あのベルワイドの天皇賞・春。あの馬は非常に気の難しい馬でした。いやだと思ったら全然走らなかった。だからスタンド前で先頭にたった時に、何の抵抗もなく、馬が動きたい時に、自分がそれにうまく合わせて動けたという、昔の言葉の“人馬一体”なんですね。」

オンワードメテオ(加賀武見調教師) 2002年(平成14年)東京ハイジャンプ

さて、加賀さんが調教師になってから、後輩の騎手に騎乗を依頼した時、さぞかしもどかしい思いをしたと思うのだが、加賀さんはあっさりと否定した。「レースに行ったら乗っている者の感覚で判断するわけだから、これはあれこれ言ってもしょうがないの。馬の癖は伝えますよ。だけど乗り方については言いません。レースというのは、とにかく乗っている者しかわからない部分が多いですから。だからレースが終わったら、乗った人の意見は必ず聞きますよ。」

保田隆芳さんのプレーを見て育った加賀さんが、更に後輩達のお手本になったであろうことは想像に難くない。あの闘志、競馬に取り組む姿勢、そして情熱は、いつまでも伝承されることを願っている。

 

馬名
生年月
父母 主な勝ち鞍
アサカオー
1965年5月生
父 ヒンドスタン 68弥生賞、68日本短波賞、68セントライト記念、
68菊花賞、69AJCC
母 ナミノオト
ベルワイド
1968年4月生
父 インディアナ 71セントライト記念、72天皇賞(春)、73目黒記念(秋)
母 コランディア
オンワードメテオ
1997年4月生
父 クリミナルタイプ 02東京ハイジャンプ、02新潟ジャンプS
母 オンワードハッピー

ライタープロフィール

白川 次郎 (しらかわ じろう)

1945年11月生まれ、高知県出身。元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで現在はフリーアナウンサー。ラジオNIKKEIにて『中央競馬実況中継』など、競馬番組を中心に担当している。また、関東地方の独立UHF放送局放送『中央競馬ハイライト』の土曜日キャスターとしても出演している。

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