私の競馬はちょっと新しい
第5回 ホースコラボレーター 細江純子さん
- 「騎手を引退してから知りたいことがどんどん出てきました」
- 1975年生まれ、愛知県出身。高校卒業後に第12期生として競馬学校に入学。96年に中央競馬初の女性騎手としてデビュー。2000年には、女性騎手初の海外勝利を挙げる。現在はホースコラボレーターとして、テレビ、新聞など多方面で活躍中。
「勝たなくちゃいけない」と感じすぎていた自分に気づく
市丸:シンガポールにも遠征して勝利を挙げられていますね? 日本の女性騎手としてはシンガポールで初勝利ということですが。
細江:とにかく楽しかったです。日本では乗り鞍が少なくなってきて悩む時期もあったのですが、あちらでは着いたその週からかなり乗せていただいて。
市丸:どんな雰囲気だったのでしょう?
細江:みんな明るかったですね。いろんな人種の……、マレー人、オーストラリア人、ヨーロッパや現地の方とか、言葉の通じないもの同士が同じ厩舎にいたりしたんですが、熱い気候のせいかわからないですけれど、とにかく明るくて、楽しかったです。騎乗チャンスを多くいただけたというのもありますし。
市丸:騎乗馬の確保などは?
細江:エージェント兼バレットの方がついてくださったんです。40歳くらいの男性の方なんですけれど、身の回りの世話をしてくれたり、アドバイスもいただきました。こういう筋肉が足りないから、こういうトレーニングをした方が良い、とか。
市丸:調教も同じ競馬場で?
細江:そうですね。同じ競馬場のコースでやっていました。
市丸:ナイター開催ですけれど、終わったらもう寝るしかない、とか。
細江:いえ、そんなことはなかったですよ。ご飯食べに行ったりとか、みんな良くしてくれて。あまり寝てなかったのかな(笑)。
市丸:そうすると、朝から結構遅くまで、という感じですよね。
細江:朝起きて調教をやって、競馬が終わったらご飯行って、それで踊って(笑)。あっと言う間に一日が過ぎる感じでした。
市丸:シンガポールでなにか得たものとかはありましたか?
細江:「そんなくよくよしなくても」というか、「勝たなくちゃいけない」と感じすぎていた自分に気づきました。それから、馬がいまどういう呼吸で走っているかとか、少しだけですけれど、感じ取れるようになったのかな、と思いますね。
市丸:その後、01年に騎手を引退されましたが、引退しようと思われたきっかけというのは?
細江:限界を感じていた、ということですね。心身ともにボロボロだったのかな。
市丸:ただ、そこで中に調教助手として残られるのではなく……。
細江:そんな能力がないので(笑)。ジョッキーを目指してずっとやってきて、じゃあ「ジョッキーやめました」となったら、なにもできない状態で。
市丸:それで今度は伝える側に、と思われたのですね。
細江:いえ、実は最初、海外に語学留学でもしようかと考えていたんです。
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