ドバイワールドカップ特集

 

制圧、肉迫、日本馬の戦い

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キャプテンスティーヴ(左)に抜かれてもなお、最内で懸命に粘るトゥザヴィクトリー。(photo by Kazuhiro Kuramoto)

激闘を演じた日本馬のレース

牝馬で唯一、ドバイWCで2着に好走した日本の快速娘

何頭もの日本代表馬が海を渡り、砂漠の大地・ドバイで世界の強豪を相手に激戦を繰り広げてきた。ドバイミーティングの一つであるドバイ・デューティ・フリー、シーマ・クラシック、ゴドルフィン・マイルでの日本馬の優勝は過去にあるが、メーンレースのドバイWCともなると勝利の2文字を掴むのは非常に困難というのが現状だ。

ドバイWCが設立された当初はライブリマウント、ホクトベガ、キョウトシチーといった各時代のダートチャンピオン達が幾度となく世界の頂点に挑んだものの、結果は見せ場もなく惨敗。日本馬のドバイWC制覇は夢のまた夢なのかという思いが続いていた。ところが、そんな状況を打破する一頭の牝馬が現れた。ドバイWC史上、牝馬として唯一2着に入った(牝馬の優勝はなし)トゥザヴィクトリーのことである。

元々、トゥザヴィクトリーは3歳牝馬戦線で主役の一角として活躍。クラシックタイトルには縁が無かったが、牝馬限定の重賞を連勝するなど芝路線で結果を残してきた。父サンデーサイレンス、母フェアリードールという血統からも芝のレースを使って行くことに何の違和感もなく、それが当たり前のローテーションだったのだが、5歳になると陣営はトゥザヴィクトリーのさらなる可能性を見出すために、想定外の大きな挑戦を決意する。それがドバイWC挑戦だ。

トゥザヴィクトリーは新馬戦からここまでは芝のレースでの出走経験しかなかったことからドバイ遠征の前に、まずは国内のダート王決定戦とも言えるフェブラリーSに出走。ここではダート適性を確かめると同時に、現状で国内のダート巧者たちとどこまで戦えるのかを見極める意味もあった。その中でトゥザヴィクトリーは先行策から3着に粘りこみ、ダート適性がある事をしっかりと証明。実力的にも国内のダート巧者たちに引けをとらないことが明らかとなる。だが、この時にまさかドバイで2着に好走すると思った人は少なかったはず。まぁ、何はともあれ、フェブラリーSで結果を出したトゥザヴィクトリーは、これで晴れてドバイ側から日本代表として選出されたのであった。また、この年のドバイWCには、トゥザヴィクトリーの他に川崎記念を勝って代表馬の座を掴んだレギュラーメンバーも参戦。日本代表馬が2頭同時にドバイWCへ出走した最初の年でもあった。

ドバイという国自体が宗教的な理由から馬券の発売が不可能なため、正式な人気は不明だが、英国のブックメーカー等では、レース前の下馬評はレギュラーメンバーの方が高かった。現地を訪れていた外国人記者の間でもレギュラーメンバーの評価の方が上で、トゥザヴィクトリーに関しては「芝ではそこそこ強いが、ダートでは未知数の部分が多すぎる」という見解がほとんど。正直、評価しづらい状況だったと言えよう。だが、それが逆に鞍上の武豊に思い切った騎乗をさせる要因の一つともなったのである。

ドバイのダートコースは脚抜きが良く、先行した馬たちもバテにくい。逆に追い込みは届きづらい。さらには日本の砂とは異なり、弾力のある粘土の様なダートということから、日本のダートレース以上にスピードの要素が必要不可欠となってくる。トゥザヴィクトリーは芝で走っていたことからスピードに関しては申し分なかった。そうなると、後は如何に前へ行って自らのペースを作れるかということになる。もしも、トゥザヴィクトリーがこの時、世界的に注目されている馬だったら他馬のマークも厳しく、理想的なポジションで楽なレースは当然させてもらえなかっただろう。しかし、それほど注目されていないとなれば、スタートから自らのペースでレースを作って逃げても、ピッタリとマークされるものでもない。そこに目を付けた武豊はあくまでも“逃げ”に拘り、その思惑通りスタートから果敢に飛ばしてハナを奪い、逃げの体勢に持ち込んだ。

悠然とナド・アル・シバ競馬場を駆け抜けてくトゥザヴィクトリーと武豊。もう一頭の日本代表馬レギュラーメンバーは2、3番手の好位からのレースとなる。この年は米国のキャプテンスティーヴ、地元ドバイのベストオブザベスツの一騎打ちが予想されていた事もあり、他国の馬は当然の様に中団からレースを進める2頭をマーク。前を行く日本馬2頭にとっては非常に楽な展開となった。

そして、中団に待機していたキャプテンスティーヴが3、4コーナーから徐々にポジションを上げていくと、ここで武豊はタイミングを見計らってトゥザヴィクトリーに指示し、さらにリードを広げた。逆にレギュラーメンバーはスピードについて行けず、一杯となる。

トゥザヴィクトリーが直線に入る手前でスピードを上げたことから、後続に3、4馬身のリードを保った状態で勝負は最後の直線へ。「これは、もしかしたら逃げ残りも」と思わせるほどの逃げっぷりで、現地を訪れた日本人観光客、記者が大いに盛り上がったことは言うまでもないだろう。しかし、残り200m地点でそんな夢は潰えてしまった。キャプテンスティーヴが満を持してスパートを開始し、トゥザヴィクトリーを交わして独走態勢に入ったのだ。

もうこの時点でキャプテンスティーヴの勝利は揺ぎないものとなっていたが、我々日本人としてみれば、トゥザヴィクトリーがどこまで上位に入るかという事に注目は移っていた。そして、トゥザヴィクトリーはキャプテンスティーヴに交わされた後も馬場の最内で必死に粘り、最後は仏国のハイトーリの追撃を半馬身差ほど凌いで2着に入線した。勝ったキャプテンスティーヴに3馬身の差をつけられたが、最後まで諦めないで懸命に走る姿は感動に値するものがあった。

レース後、手綱を取った武豊も、同馬を管理する池江泰郎師も、このトゥザヴィクトリーの走りには満足したと言う。もちろん、現地を訪れた日本人、テレビで観戦していた多くのファンも彼女の頑張りに胸を打たれたことだろう。

このドバイ遠征の後にトゥザヴィクトリーはエリザベス女王杯を制してGIホースの仲間入りを果たす。翌年もドバイWCに挑戦してリベンジを狙ったが、体調不良や馬場状態が向かなかったことで最下位の11着に破れてそのまま引退。勝利こそなかったが、彼女が見せたドバイでの勇姿は記録以上に、多くのファンの脳裏に焼き付いているはず。また、余談となるが、この年のトゥザヴィクトリーとステイゴールドの走りを目の当たりにしたドバイのモハメド殿下が、両馬の父であるサンデーサイレンスに予想以上に興味を示し、本格的にサンデーサイレンスを購入しようと行動したことも付け加えておこう。

[Text by Kazuhiro Kuramoto]